秋も深まってきました。(原稿執筆時で)昨日、遺影をひとつ仕立てたところです。今日はその時に思ったことを書いてみようと思います。
生前に遺影を用意するというのでなければ、数年以内に撮ったスナップ写真から遺影を仕立てることになります。で、人物が柔らかな表情で正対して写っているスナップとなると旅行のときの記念写真くらいなものです。
記念写真は「広く」写すものですから、故人のみをバストアップで切り抜くと遺影に仕立てるにはデータ量が小さすぎます。今回を例に出すと30万画素しかありませんでした。このままだとプリクラサイズです。これをA4程度のサイズにプリントするために800万画素に増やす処理をしました。
画素を増やす処理には方法が何種類もあるんですけど、私はエッジを立てて拡大します(ニアレストネイバー法やバイリニア法)。するとジャギーのひどい画像が得られるんですが、ぼかしブラシなどを使って画面の要素ごとにエッジを溶かしていくと元が低画素だったとは思えないくらいにシャープな拡大像になります(というか、無理やり「する」んですが)。
この技術は明らかに写真でなく絵画のそれに分類されるでしょう。ブラシの調整やタッチと、何よりも「どうしたら自然に見えるか」を考えながら作業するのですから。大雑把に分けて語れば、写真は「写ってないなら仕方ない」ですが、絵画は「無いなら描けばよい」というわけで、そのあたりの性向は作業者が通ってきた道をよく表します。私はというと、デッサンや写真を習うよりも先にPhotoshopで遊んでいたので このような方法を取るようになったのかもしれません。絵は一から描かなければいけないとは思わないし、写真は撮ったままがよいとも思わない。思い描いた完成図にたどり着けるなら新しい方法を許容できるというのがPhotoshopの道かなと。
ただ、私がとる方法は手間がかかります。たぶん一般的にはエッジの甘さを許してバイキュービック法を使うことが多い。バイキュービック法なら、そもそもエッジの処理を手作業で行わないという方向ですから簡単かつ短時間で済みます。確かにそう、それはそうだけれども、という話で… 私が手間をかける理由は、実は精神的な部分にあるのかな、と。故人と向き合って精一杯のお世話をさせていただくという感覚があります。いちいち想いを込めるだなんて、まぁ、なんというか景気の悪い性格だとは思いますが、おかげで厳かな仕事もさせていただけるのかなという気もしないでもないのでいいのですが。
ところで話を戻して、やっぱり画素が多く、かつ正確に写っているほど仕上がりはよくなります。旅行の写真だとL判で十分ということもあって 心得のある人こそ小さめのjpgで撮ってるかもしれないですけど、記念写真はぜひ最大サイズで撮ってみてほしいなと思ったりします。ぜひ。
今日はこのへんで。
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